OBCが生まれるまで

消防師から歯科技工士を目指して

院長 OBCがこの世に生まれたのは2000年のことです。
このOBCを考案・開発できたことは、私の歯科人生において本当に運命的な出会いでした。OBCは現在の歯科医療はもちろん、未来の歯科医療にも、なくてはならない装置になるものと思います。

このOBCを開発するまでには、とても長い道のりがありました。

私は20歳の時、当時勤めていた東京消防庁を退職し、かつて中学校の恩師に勧められた「歯科技工士」を目指し、その道を進むことに決めていました。

しかし「歯科技工士」になるといっても、当時、どうしたら歯科技工士になれるのかよく分かりませんでした。そこで、まずは近くの技工所に勤めさせてもらい、いろいろ情報収集しながら、朝から夜まで入れ歯の研磨を繰り返していました。

そうして2年が過ぎようとしていたある日、どうしても許すことのできない、衝撃的な光景を目にしてしまったのです。なんと、その技工所の社長が、床に落とした入れ歯を拾い、それを唾(つば)を付け、汚い雑巾で拭いているではありませんか!

この姿を見て、「精魂込めて磨いた入れ歯をとんでもない。」私にはその行動が理解できませんでした。そして、翌日にはその技工所から飛び出していました。

しかし、職を失ったのにも関わらず、新しい未来に心が躍っていました。なぜなら、その2年間を通して、「自分はものづくりを通して、誰かの役に立てることがしたい」そして、「歯科技工士という仕事が大好きである」ということに気づけたからです。

歯科技工士として噛み合わせの難しさを知る

こうして正式な歯科技工士になることを決心し技工士学校へ入学しました。昼は仕事をしながら、夜は学校という生活を3年間続け、念願の「歯科技工士」の資格を取得したのです。

実は、その3年間でとても悩んでいたことがありました。それは、補綴物の精度を高めようとしても、模型上と口腔内とでは噛み合わせが違う、それも、微妙どころか全く違うといったことが常に起こっていたのです。はじめは、自分の技工能力に問題があるのではないかと落ち込んでいたのですが、熟練の技工士ですら、噛み合わせについてはうまく調整できていませんでした。

診療風景 当時は、「下顎を無理やり後方に押した位置が噛み合わせの中心位置である」という考え方が一般的な時代でしたし、それを否定する考えもほとんどありませんでした。しかし、その頃から顎関節症が取り沙汰されることが多くなり、下顎の位置が顎関節に影響を及ぼしている事を知りました。講習会や書籍を通じて勉強を重ねるにしたがって、さらに噛み合わせの複雑性を思い知らされることになりました。

治療方法も考え方によっていくつか誕生しました。しかし、誰にでもできる「これ」という方法はなかなか開発されず、その結果、治療方法が置き去りにされ、症状だけがクローズアップされていきました。

原因不明の不定愁訴や、それにまつわる姿勢の歪み、精神的障害に至るまで細かく分析されたのですが、噛み合わせとの因果関係があることは分かっても、どう治したらよいのかといった明確な治療方法は、ついに開発されることはなかったのです。

歯科技工士の限界…

院長 やがて、時代とともに顎関節症についての治療方法が問われることが少なくなっていきました。それでも私は何種類かのスプリント(マウスピースのようなもの。重心プレートの前身)を使用して、自分なりの治療方法を模索し続けていました。その甲斐もあって、それなりの効果を得られている実感もありましたが、しかしそこには決定的なものが不足していました。

それはスプリントによる患者さんが感じる体の反応を、私自身が直接的に理解すること、すこし大げさにいえば、患者さんの心の叫びが聞こえてこないことでした。実は、当時技工士だった私には、病院ではなく模型上でしかその適合性を追求する手段がなかったのです。

そんな生活の中、技工士歴14年を迎えていた私は、技工士としての技術の総決算をしていました。噛み合わせから少し離れ、総入れ歯から徹底的に研究し、落ちない入れ歯、外れない入れ歯を考案・研究しました。

一般的に入れ歯は、口を大きく開けた時に最も落ちやすいものです。落ちない入れ歯は、口を開けると咀嚼筋が緊張するという特性を利用し、入れ歯に特殊な形態を与えることで、上方に吸い付かせることができるようになったのです。その結果、通常の入れ歯では、外れなくなった時、口を大きく開いて外しますが、私の入れ歯は逆に口を開くと上に吸い付くので外れなくなってしまいます、よって、口を閉じて入れ歯の後方に息を強く吹きつけ入れ歯を浮かせて口から取り出すという、それまで常識をかえてしまうようなものだったのです。

さらに研究を進めると、口腔周囲の筋肉と血管、そして神経の走行など、生きた解剖的知識がないと入れ歯にこの形態を与えることが出来ないことがわかりました。ここに技工士としての限界を感じました。

「やはり歯科医師への道を進まなければ、自分の本当にやりたいことはいつまでも実現できない。」そう強く思ったのはこの時でした。

歯科技工士から歯科医師へ、そしてOBCのとの出会い

その後、私は歯科医師となりました。入れ歯については、自分で型を採って作ることが出来るため、仕上がりまでの過程でエラーがどこにあり何が問題なのかが分かります。そしてそれを解決することで、その患者様に最も生理的で違和感のない入れ歯を提供することができるようになりました。

この入れ歯の研究過程で使用していた技術が、ある患者さんの訴えをきっかけにOBCとして生まれ変わることになります。

それは、あるスタッフのお母さんが訴えていた症状でした。『6ヵ月前から背中がシビレて困っている。』この方はかつて私が治療した患者様です。とにかく拝見してみないとと思い、来院していただきました。しかし、拝見してもどこにも原因らしき部位が見当たりません。一見すると、どう見ても噛み合わせなどがおかしい様子はないのです。

当時私は、入れ歯については、生理的に違和感のないものを提供できること、とりわけ噛み合わせに関しては、絶対的な自信を持っていました。この入れ歯の噛み合わせの調整には、ゴシックアーチとう方法を使用するのですが、その時、ふと気づいたのです。

「全ての歯を失った患者様、全ての歯が揃っている患者様、どちらも地球上で二足歩行しているかぎり重力の影響を受けているのだから、もしこの症状が不定愁訴の1つであるならば・・それしか無い! だとしたら、このゴシックアーチを改良すれば、入れ歯だけでなく噛み合わせ治療にも生かせるかも!

そこで早速、装置を改良して治療してみました(これがOBCの原形です)。すると、驚くことに、それまではまったく噛み合わせには問題がないように見えたのですが、装置をつけてみると、ほんの少しだけズレがあることが分かったのです。

そして、ズレを直すために上顎の3ヵ所を削った(わずか数ミクロン)その時でした。

「先生!」

と声をかけられ、患者様がいきなり手を上げたのです、尋ねると、「今シビレが止まった」というのです。患者様自身が驚き、ユニットの上で大騒ぎ。それもそのはず、6ヵ月もシビレで悩まされていたのが、一瞬で消えたわけですから。ただ、それ以上に驚いたのは私自身の方でした。まさにOBC誕生の瞬間です。

開発風景 あれから13年の時が経ちました。それ以来、OBCはさまざまな改良を続け、現在の形として完成しました。いつの時も、そのヒントは、患者様のちょっとした体の変化、患者様が日常の生活の中で自分を観察し続けた報告の中にありました。

こうして今、OBCがほぼ完全なものとして完成することができたのは、患者様の感覚・感性が、私に「何故そう感じるんだろう?」という疑問を起こさせてくれたこと、そしてもっと健康に、もっと快適に、もっと自分らしくありたい、と願う患者様と私の願いが一致していたからだと思います。

「患者様とともに歩いてきた」

それが、噛み合わせ治療に欠くことのできない、OBCという装置ならびに「SASO」という治療法を生み出してくれたのだと思っています。これまでの1000名を超える患者様には、本当に心から感謝しています。